技術・技能
注目記事
装置材料の損傷・劣化「べからず集」Vol.1
2025.04.01
鋼製ボルトは「強度が高いほど締結の信頼性が高い」と考えられがちである。しかし、実はそうでない場合もある。例えば、大気中や水溶液中で1,200MPaを超える高強度のボルトを用いると、使用中に軽度の腐食が発生するととともに、同時に水素を吸収して脆化し、最終的なボルトの破断に至る場合がある。 これは、図に示すように、材料の強度が高いほど水素脆化感受性が高いためである。この理由は、強度が高いほど応力集中部(ボルトの場合にねじ底)に高い応力を受けることになり、その応力集中部に吸収した水素が拡散により集中し、脆化するためである。 また、使用環境により吸収される水素量は変化し、大気中での腐食では、図中に示すように鋼材に1ppm程度まで水素を吸収する可能性があるとされている。水素脆化によるボルトの破断を防止するためには、基本的により強度の低い鋼材を選定することが妥当である。経験的に、強度1,000MPa以下の鋼材の使用が大気中では妥当とされている。 なお、鋼材の腐食を抑制するために犠牲陽極作用を期待して、亜鉛粉を含む塗料(ジンクリッチペイント)を採用することは、かえって鋼材の水素吸収を加速する可能性が高く、避ける必要がある。
サステナブルなモノづくりのために No.99
2025.06.02
実はこの話題を本連載で3回目なのだが、筆者の担当する大学院の講義の1コマで「最近の若者は車を買わなくなったのか?」というテーマで学生とディスカッションをやっている。毎回新たな発見があるので、今回も学生の意見を紹介しよう。 この問いの背景は、我が国の基幹産業の大黒柱であり、大量生産・大量販売の象徴である「自動車」を、若者が購入しなくなったのだとしたら、それは、ある消費者層(この場合は若者)の消費形態が大きく変わったということだから、持続可能な社会の実現に向けて何らかの参考になるのではないか?ということを考えている。 話の前提はかなり極端で、場所は東京の真ん中で、足として車が必要な地方とは状況が大きく異なる。対照とする時代を、筆者が若者だったときの多少サバを読んで1990年と置いている。まさにバブル真っ盛りであり、大学生になったら車を買うのが当たり前、車がないとデートできない、格好良いスポーツカーを持っている奴がモテるという時代であった。ちなみに、1990年と現在は、人口は大体同じぐらい、実質GDPは1.3倍だが、20代人口が3/4に減り、自動車販売台数(バス、トラックを含む)が、778万台から478万台、つまり約40%減少しているという状況である。逆に言えば国内市場が40%縮小しても元気な自動車産業は偉い。 さて、彼らの意見を聞いていると、学生には、自動車を購入する、所有するという発想はない。友だちと旅行に行くときにはカーシェアリングを使うことはあるが、日常的に車で移動する習慣はないし、都会の交通インフラが便利になっているので、車で移動する必要性を感じないという訳である。講義が雨の日にあったらもう少し議論が変わったかもしれないが・・・ これまでは、1990年の話をすると割と何でそんなバカげた理由で車を買うのかという反応が多かったが、今回は一周回って、昔話としては理解できるという反応が多かった。1つ鋭い指摘だったのが、ステータスに対する認識が大きく変わったのではないかという指摘であった。その当時、車を持つ、スポーツカーを持っているということがステータスだったのではないか。それに対して今は、SNSでフォロアーが多いとか、ゲームの成績がステータスであり、車は映えず、そういう価値はないという指摘である。なるほど、そうだとしたら若者は車を買うわけないと深く納得した。 デートに必須とか、高いステータスを獲得するために必須のアイテムという幻想が失われてしまうと、どう考えても都会で車を所有する合理的な根拠はない。初期投資額、維持費、駐車場代が割りに合わない。都会は交通インフラが発達していて便利だし、速くて正確。自動車は移動時間も正確に読めない、交通事故のリスクが怖いといった意見も出た。昔は車があれば、通勤通学の時間も自分の空間があって、音楽やラジオが聴けて、電車の混雑が避けられるということだったが、電車の混雑度は若干は緩和され、スマホとイヤホンでそういった楽しみもバーチャル化されて実現されているのだろう。 かように、若者は車を買うことが全く眼中にないとすると、テレビでやっている山のような自動車のコマーシャルは何なのだと思ってしまう。あ、そもそも若者はテレビを見ないのか。この辺に、空間は同じ所に暮らしていたとしても、ライフスタイルに大きなジェネレーションギャップがあることに、改めて気付かされる。 学生の意見を聞いていると、彼らのライフスタイルはつくづくサービス社会に既に移行済みであると感じる。買い物はオンラインショッピングで、友だちと遊ぶのもオンラインゲーム、会話もLINE。その意味で外出する機会が減った。旅行のために車を使うことがあるが、頻度が低いのでカーシェアリングで充分。目的に合ったサイズの車を借りられるのでむしろ便利。キャンプに行ったりすることもあるが、それも身一つで行ってキャンプができたり、バーベキューができるサービスを利用する。つくづく、ものを所有せず、サービスを適切に選択して活用するライフスタイルの広がりを感じる。改めて1990年と今を比べてみると、時代は実際大きく変わっているし、まさに、諸富先生が言う「非物質主義的転回」(諸富徹: 「資本主義の新しい形」, 岩波書店, 2020)が身の回りで十二分に起きていると感じる。 とすると、筆者らは、脱大量生産・大量消費だ、サーキュラー・エコノミーだと、説教臭く言っているが、若者のライフスタイルは既にそうなっているのではないか。むしろ彼らを手本として、変わるべきは、筆者らの世代であり、おそらく、日本メーカーの体質、思考回路なのであろう。学生のレポートにも、「製造には強いが新たなコンテンツを生み出すイノベーションに弱いというままでは、近年コト消費を生み出し続けている海外企業に対し、競争力が低下する一方だと危惧されます。」とあった。 改めて思ったのは、社会は時間と共に大きく変わる、変えることができる、そこは確信をもって良いということである。しかし一方で、1990年と今を比べたとき、CO2排出量はほとんど減ってないし、資源消費量も多分ほとんど減ってない。若者のライフスタイルの産業部門を含めた日本全体のCO2排出、資源消費に対する影響力がまだ充分に大きくなく、今後は加速度的に削減が進むと信じることにしよう。
装置材料の損傷・劣化「べからず集」Vol.5
2025.06.01
図に模式的に示す多管式熱交換器(以下熱交と略す)は、化学プラントで多く用いられるタイプの熱交である。熱交を設計する場合に、腐食性のある流体をシェル側に流すことは、原則として避ける必要がある。すなわち多管式熱交では「腐食性流体はチューブ側に流す」を原則とする。それは、図に示すように、シェル側に腐食性流体を流すと、バッフル近傍や管板近傍で滞留部が生じるため、流体の流れを均一に一定以上の速度で流すことが不可能であり、かつ伝熱管表面の付着物や腐食生成物を定期修理時などで物理的に洗浄することが困難であり、更に腐食が発生した場合の非破壊的な検査が管内側に流体を流す場合に比べ困難になるためである。 これは、伝熱管が炭素鋼の場合も、ステンレス鋼の場合も同様である。 プロセス流体に腐食性が無い場合は、冷却水は炭素鋼やステンレス鋼に対して腐食性があるため、これをシェル側に流さず管内側に流した方が、以上の種々の課題に対応する上で望ましい。このような設計段階での配慮が、熱交の信頼性やメンテナンスの負荷に大きく影響する。ただし、プロセス側流体にも腐食性が有る場合や、プロセス側流体に重合やスケーリングの発生がある場合には、それらの流体をチューブ側に流さざる得ないため、冷却水をシェル側に流す場合もあり得る。その場合は、熱交のタイプを固定管板式からU字管式や遊動頭式などのチューブバンドルを開放できるタイプへ変更し、洗浄や検査を行い易くすることが考えられる。また、冷却水側からの腐食を抑制するため伝熱管の材料を炭素鋼からステンレス鋼へ変更や、ステンレス鋼でも冷却水側からの応力腐食割れの発生を抑制するためSUS304などのオーステナイト系ステンレス鋼から、SUS329などの2相系ステンレス鋼へ変更するなど、材料面からの腐食抑制策を選択することを行うことが妥当な場合もある。
サステナブルなモノづくりのために No.98
2025.05.01